「歯茎が下がる」って何? そんなこと考えたこともなかった。
これ、矯正の相談に来られる方のほとんどが最初に思うことです。カウンセリングで「矯正すると歯茎が下がることがあります」「歯茎が薄いですよ」と説明しても、ピンとこない方がほとんどです。
それもそのはず。歯茎なんて普段気にしたことがないですよね。
この記事では、歯茎が下がるとはどういうことか、下がったら何が困るのか、下がらないための対策、そして下がってしまった歯茎を増やすことはできるのかを、実際の症例と15本の研究データをもとにお話しします。
実際の症例として、もともと歯茎が薄く下がっていた方と、矯正中に歯茎が下がってしまった方、それぞれのケースを紹介しながら解説していきます。
この記事の内容
- そもそも「歯茎が下がる」とは?
- 症例 ── もともと歯茎が下がっていた方の矯正
- もう一つのケース ── 矯正中に歯茎が下がりかけた方
- 矯正で歯茎が下がりやすい人の特徴
- 下がった歯茎は戻せる? ── 15本の研究データ
- 歯茎を下げないために、矯正前にできること
- よくある質問
目次
そもそも「歯茎が下がる」とは?
歯茎が下がるというのは、歯茎が本来の位置よりも後退して、普段は隠れている歯の根っこが見えてきてしまう状態のことです。専門用語では「歯肉退縮(しにくたいしゅく)」と呼びます。
わかりやすく言うと、歯が「長く見える」ようになります。実際に歯が伸びたわけではなく、歯茎が下がって隠れていた部分が見えてきただけなのですが、見た目の印象はかなり変わります。
歯茎が下がると何が困る?
- 冷たいものがしみる ── 露出した歯根にはエナメル質がないため、知覚過敏が起きやすい
- むし歯になりやすくなる ── 歯根面はやわらかく、むし歯リスクが上がる
- 見た目が気になる ── 歯が長く見えたり、歯茎のラインがガタガタになる
つまり見た目の問題だけでなく、歯の健康に直結する問題です。では実際に、歯茎が下がっていた方がどのように矯正治療を進めたのかをご紹介します。
症例 ── もともと歯茎が下がっていた方の矯正
30代の男性で、歯並びのガタガタ(叢生)を主訴に来院されました。お口の中を見ると、歯並びの問題だけでなく、上下の前歯6本すべてで歯茎が下がっている状態でした。
正面写真で見る治療の流れ
ここで問題になるのは、このまま矯正を始めると、歯を動かす力で歯茎がさらに下がってしまうリスクがあるということです。
この症例で行った判断
まず矯正を始める前に、連携する歯科医院で下がっていた前歯の歯茎を足す手術をしました。上あごの裏側から組織を採って、歯茎が薄くなっている部分に移植する方法です(CTG:結合組織移植術といいます)。
ただし、上下6本すべてにCTGを行うのは負担が大きく現実的ではありません。そこで犬歯(3番目の歯)は抜歯するという判断をしました。
通常、矯正治療で抜歯するのは小臼歯(4番目の歯)です。しかしこの方の場合、犬歯の歯茎が特に薄く、矯正で動かすとさらに退縮が進む可能性が高かった。歯茎の状態を見て、抜歯する歯を変えたのです。
こうした判断は教科書には載っていません。一人ひとりの歯茎の厚み、骨の状態、歯並びの問題を総合的に見て、その方にとって一番良い治療計画を立てる必要があります。
上のスライダーで初診→CTG後→矯正完了の変化を見てみてください。歯茎のラインが整い、歯根の露出がなくなっています。先にCTGで歯茎を回復させてから矯正を始めることで、きれいな状態で矯正を終えることができました。
もう一つのケース ── 矯正中に歯茎が下がりかけた方
症例73は矯正を始める前から歯茎が下がっていた方でした。では、矯正中に歯茎が下がってきた場合はどうするのか。
当院ではもう一つ、矯正中に歯茎の変化を見逃さないための仕組みがあります。デンタルモニタリングというAIシステムです。
デンタルモニタリングとは、患者さんがスマートフォンで口の中の写真を撮影すると、AIが自動で歯の動きや歯茎の状態を解析してくれるシステムです。当院では矯正治療中の全患者さんに導入しています。
週1回の撮影で、歯茎の位置に変化があれば来院を待たずに担当医にアラートが届きます。
デンタルモニタリングで歯肉退縮を検知した例
ある患者さんの矯正中、AIが下の前歯付近の歯茎の退縮を検知しました。月1回の来院を待っていたら気づくのが遅れていたかもしれません。
アラートを受けてすぐに矯正の力を緩めて対応。退縮の進行を早い段階で止めることができました。
従来の矯正治療では、月1回の来院時にしか口の中を確認できませんでした。その間に歯茎が下がっていても、次の来院まで気づけない。デンタルモニタリングなら、自宅にいながら週1回のペースでAIがチェックしてくれます。
デンタルモニタリングの経過画面
「起きてから治す」より「起きる前に気づく」。これが当院の考え方です。
矯正で歯茎が下がりやすい人の特徴
矯正をしたら必ず歯茎が下がるわけではありません。ただ、下がりやすい条件がいくつかわかっています。
骨が薄い
特に下の前歯は、歯を支える骨(歯槽骨)がもともと薄い人が多い。歯を外側に動かすと骨がなくなり、歯茎が一緒に下がることがある
磨き方が強い
硬い歯ブラシでゴシゴシ磨く習慣がある人は、矯正に関係なく歯茎が退縮しやすい
歯周病がある
歯を支える組織がすでにダメージを受けている場合、矯正の力が加わることで退縮が進みやすい
先ほどの症例73の患者さんは、まさに「骨が薄い」タイプでした。こうしたリスクは、矯正を始める前のCT撮影で事前にわかります。
下がった歯茎は戻せる? ── 15本の研究データ
症例73で行ったCTG(結合組織移植術)。実際どれくらい持つのか? これが患者さんにとって一番気になるところだと思います。
15本のランダム化比較試験を分析した論文(Dai et al. 2019)が、この疑問に答えてくれています。下がった歯茎を戻す方法は主に3つあり、それぞれ「治った後の持ち」が違います。
| 方法 | 何をするか | 長持ちする? | 研究でわかったこと |
|---|---|---|---|
| 歯茎を引き上げるだけ | 下がった歯茎を上に引っ張って縫い合わせる | 後戻りしやすい | 2年以上経つと被覆率が7.29%低下。8年後に53%が再発 |
| 引き上げ+組織移植(CTG) | 上あごの裏側から採った組織を一緒に移植する | 長持ちする | 2年以上経っても被覆率が変わらない。20年後も約70%が安定 |
| 引き上げ+特殊タンパク質 | 歯根の表面に薬剤を塗布する | まずまず | 短期と長期で大きな差はないが、データがまだ少ない |
出典: Dai et al. (2019) J Clin Periodontol. 15本のRCT、318名604部位、追跡期間2〜14年
症例73の患者さんに行ったのは、2番目の「引き上げ+組織移植(CTG)」。歯茎を引き上げるだけでは時間が経つと後戻りしてしまいますが、組織を一緒に移植すると歯茎の厚みが増して長期間安定します。
さらに面白いのは、移植した組織が年月をかけて少しずつ歯を覆う方向に這い上がっていくことがあるという報告です。つまり、手術してからさらに良くなる可能性があるということです。
実際に、先ほどご紹介した症例73の方でも、時間が経つにつれて歯茎がさらに回復していく変化が確認できています。論文で報告されている現象が、当院の患者さんにも起きているのです。
人工材料を使う方法(上あごから組織を採らなくて済む)もありますが、5年・10年先のデータがまだ十分ではありません。現時点で「長く持つ」という証拠が一番多いのはCTGです。
歯茎を下げないために、矯正前にできること
一番大事なのは「治してからどう維持するか」よりも「そもそも下がらないようにする」ことです。
CTで骨の厚みを事前に確認
矯正を始める前にCT撮影で歯槽骨の厚みを3次元的に評価。薄い部位の歯は移動方向と移動量を慎重に計画します
やさしいブラッシング
硬い歯ブラシでゴシゴシ磨かない。やわらかい歯ブラシで丁寧に磨く習慣が歯茎を守ります。当院の衛生士が正しい磨き方を指導します
歯周病は矯正前に治す
歯周病がある状態で矯正を始めると、歯茎が下がるリスクが大幅に上がります。まず歯周病の治療を完了させてから矯正に入ります
症例73の方のように、すでに歯茎が下がっている場合はCTGで先に回復させてから矯正を始めるという選択肢もあります。当院では連携する歯科医院と協力して対応できる体制を整えています。
矯正専門医として伝えたいこと
院長 氏井庸介
「歯茎が下がるかもしれない」と聞くと不安になると思います。でも大切なのは、リスクがあることを知った上で、それに備えた治療計画を立てることです。
当院では3つの備えがあります。矯正前にCTで骨の厚みを確認する「予防」、デンタルモニタリングのAIで歯茎の変化を見逃さない「早期発見」、そして万が一下がった場合も連携する歯科医院でCTGを行い回復できる「リカバリー」。この3段階で、安心して矯正を受けていただけるようにしています。
この記事の論文エビデンス
Dai A, Huang JP, Ding PH, Chen LL. Long-term Stability of Root Coverage Procedures for Single Gingival Recessions: A Systematic Review and Meta-analysis. J Clin Periodontol. 2019. doi: 10.1111/jcpe.13106
研究デザイン: 系統的レビュー+メタアナリシス / 対象: 15本のRCT(318名、604部位)/ 追跡期間: 2〜14年
よくある質問
Q. 矯正で歯茎が下がる確率はどのくらいですか?
A. 全員に起こるわけではありません。リスクが高いのは、歯槽骨が薄い部位(特に下の前歯)、歯を大きく外側に動かすケース、歯周病の既往がある方です。当院ではCT撮影で骨の厚みを事前に確認し、リスクを評価した上で治療計画を立てています。
Q. 下がった歯茎は自然に戻りますか?
A. 残念ながら、一度下がった歯茎が自然に元の位置に戻ることは基本的にありません。ただし、CTG(結合組織移植術)などの歯周形成外科によって回復させることは可能です。論文データでは、CTG併用で20年後も約70%の部位で安定した結果が得られています。
Q. 歯茎を戻す手術は痛いですか?
A. 手術は局所麻酔下で行うため、術中の痛みはほとんどありません。術後は組織を採取した上あごの裏側に痛みや違和感が1〜2週間ほど続くことがあります。当院からお渡しする鎮痛剤で十分にコントロールできるレベルです。
Q. 矯正中に歯茎が下がるのを予防する方法はありますか?
A. 最も重要なのは、治療開始前にCT撮影で歯槽骨の厚みを確認し、リスクのある歯については移動方向と移動量を慎重に計画することです。また、矯正中のブラッシング圧が強すぎないか衛生士にチェックしてもらうこと、歯周病がある場合は矯正前に治療を完了させることも大切です。当院ではデンタルモニタリングで週1回AIが歯茎の変化をチェックしています。